溢れるAI生成コンテンツと、残らない記憶
SNSを開けば、驚くほど完成度の高いAI生成画像や動画が次々と流れてきます。技術的には完璧で構図も美しい。それなのに、単に見てしまうだけで翌日には何も覚えていない。そんなことはありませんか。
こうした現象は、AI生成コンテンツと人間の感情の間には、ある構造的な問題が存在していると考えます。それは作り手の「体験の深度」の欠如が原因なのではと推測します。
IBMの報告によれば、AI生成コンテンツには独創性、創造性、感情の深みが欠ける可能性があることが指摘されています。
(出典: https://www.ibm.com/jp-ja/think/insights/ai-generated-content)
本記事では、広告出稿やSNSマーケティングを検討されている企画担当者の皆様に向けて、なぜ一部のAI生成コンテンツが「浅い」と感じられるのか、そしてどうすればその課題を克服できるのかを考察します。
本物の体験が持つ、圧倒的な力
123億円で落札されたバスキアの絵画を想像してください。同じ作品を高解像度のモニターで見るのと、美術館で実物を前にするのとでは、何が違うのでしょうか。
ICOM日本委員会の報告によれば、コロナ禍において多くの人々が画面越しの交流を経験した結果、リアルな交流の価値の重要性を再認識したことが明らかになっています。同様に、美術館における実作品との出会いの価値は、デジタルでは代替できないものだと指摘されています。(出典: https://icomjapan.org/journal/2022/02/04/p-2797/)
デジタルで見る作品は「情報」ですが、実物の前に立つことは「体験」です。この違いは、脳の反応レベルで異なります。体験には、五感を通じた情報、空間の空気感、その場の温度や音、そして何より「そこにいる」という身体的な実感が伴います。
これは例え話ではありません。実際の広告クリエイティブにも、同じ原理が適用されます。
クリエイターの体験が、コンテンツの深度を決める
ここで本質的な問いを投げかけます。成功したことのない人が書いた成功本を、誰が読みたいと思うでしょうか?
実際に苦労し、失敗し、そこから這い上がった人の言葉には、リアリティの重みがあります。読者はそれを本能的に感じ取ります。文章の背後にある「生きた経験」が、言葉に説得力を与えるのです。
生成AIに完全に依存した文章は、感情や情熱が感じられない機械的な説明になりがちというのは皆さんも生成した文章を見て感じることはないでしょうか。
問題の核心はAIツールの性能ではありません。AIを操る人間が、どれだけの体験を持っているかが決定的な違いを生むと考えています。
クリエイティブの質を決める「体験の多様性」
広告業界では、クリエイターの多様性がクリエイティブの質に直結することが、すでに実証されています。
博報堂は「粒ぞろいより粒ちがい」という人材育成方針を掲げています。これは、一人ひとりが異なる個性を持ち、多様な価値観をぶつけ合うことで新しいアイデアが生まれるという考え方です。同社の執行役員である嶋浩一郎氏は「単にいろんな考え方の人が集まっているだけでは、アイデアもイノベーションも生まれません。粒ちがい、つまり多様な異分子同士が、異なる意見や価値観をぶつけ合うことで劇的な変化が起こる」と語っています。
(出典: https://www.hakuhodo.co.jp/magazine/75314/)
この考え方は、AIクリエイションの時代においてさらに重要性を増しています。AIツールは誰でも使えます。差別化要因は、そのツールを操る人間が持つ「体験の引き出し」の豊富さなのです。
なぜ「AIっぽさ」は、広告の価値を下げるのか
現在のAI生成コンテンツが抱える課題は、技術的な問題ではなく、人間的な要素の欠如にあります。
TechSuite AI Blogの分析では、AIは複雑な人間の感情を完全に理解するには至っておらず、その結果、コミュニケーションの過程で感情の微妙なニュアンスが失われることが指摘されています。
(出典: https://techsuite.biz/14192/)
具体的には、以下のような要素が欠けがちです:
1. 感情の解像度
喜びひとつをとっても、達成感からくる喜び、再会の喜び、発見の喜びなど、無数のバリエーションがあります。豊富な体験を持つクリエイターは、この感情の違いを直感的に理解し表現できます。
2. 文化的なコンテクスト
実際にその場所を訪れ、その文化の中に身を置いた経験は、表面的な知識とは全く異なる理解をもたらします。この深い理解がターゲットオーディエンスの心に届くメッセージを生み出します。
3. 予測不可能性
バイラルするコンテンツには、しばしば「予測外」の要素が大きくあります。実際の体験から生まれる偶然の組み合わせや意外な視点はデータベースからは生まれにくいのです。
広告業界で起きている、静かな変化
広告業界では今、クリエイティブに対する考え方が静かに変化しています。
従来は「メッセージを届ける」ことが広告の主目的でした。しかし現在では、「ブランド体験を提供する」という視点が重視されるようになっています。つまり、一方的に情報を伝えるのではなく、消費者が実際にブランドを体験し、感じ、記憶に残すことが求められているのです。
この変化の背景には、デジタル環境の成熟があります。消費者は毎日、膨大な量の広告に触れています。その中で記憶に残るのは、技術的に完璧な広告ではなく、「何か感じるものがあった」広告です。
さらに、AI技術の発展により、広告表現の多様性を客観的に分析することも可能になってきました。画一的な表現では消費者の心を動かせないことが、データとしても明らかになりつつあります。
重要なのは、技術の進化ではなく、クリエイティブの多様性をどう担保するかです。そして、その多様性の源泉こそが、クリエイター一人ひとりが持つ「体験」なのです。
これからの時代に必要な、クリエイターの条件
ここで、一見逆説的な提案をしてみます。
これからのAI時代において、最も価値のあるクリエイターは、より多くの「非効率な体験」をしている人です。
要は、無駄なこと、どうでもいいこと、生産性のないこと。そんなことが、大事になるのではないかと思うのです。
AIが技術的作業を代替する時代において、人間の役割は「正確に実行する能力」から「何を感じ、何を表現したいか」へとシフトしているからです。
より遊び、より旅し、より感じた人が勝つ理由
以下のような体験が、これからのクリエイターには必要です。
実際の場所を訪れる
インターネットで収集した情報であるバーチャルツアーではなく、実際にその土地に立つ。空気を吸い、人々と交わり、予期せぬ出来事に遭遇する。
本物のアートに触れる
インターネット上で見た画像と、実物の前に立つことの違いを体感する。絵画の筆触、彫刻の質感、空間との関係性などは画面では伝わりません。
異文化に身を置く
自分の「当たり前」が通用しない環境に身を置くことで、文化的な文脈への感度が研ぎ澄まされます。
失敗と成功を経験する
実際に何かに挑戦し、失敗し、それでも続ける。この経験が、説得力のあるストーリーを生み出します。
実践:クリエイティブチームの体験投資戦略
では、具体的にはどう組織として対応すべきでしょうか。下記に私なりの見解を述べてみようと思います。
1. 体験予算の確保
クリエイティブチームに「体験予算」を割り当てること。これは研修費ではなく、純粋に「心を動かす体験」のための予算です。
例えば、年間の予算の何%かを、以下のような活動に投資します。
- 美術館・博物館への訪問
- 異文化体験(国内外の旅行)
- ライブイベント・パフォーマンスの鑑賞
- 異業種交流
- ターゲットオーディエンスと同じ環境での生活体験
2. 体験の言語化プロセス
体験を記録し、チーム内で共有する仕組みを作ります。
- 体験後の48時間以内に感じたことを記録
- 「なぜ心が動いたのか」を自問自答
- チーム内での共有セッション
3. 体験をクリエイティブに落とし込む
言語化した体験を、実際の制作に活かします。
例えば、地方の観光PR動画を作るとします。
- 従来:「観光地 美しい 動画」とAIに指示
- 体験後:「早朝5時の漁港で見た、霧の中から現れる漁船の光。地元の人が話す方言のリズム。魚市場の生臭さと活気が混ざった空気感」を起点にAIに指示
この違いが、「どこにでもある観光動画」と「その土地にしかない空気を感じる動画」の差を生みます。
実際の制作では
- 体験メモを見返しながらAIに指示を出す
- 生成された画像や動画を見て、「現地で感じた感覚と合っているか」を判断基準にする
- 技術的な完成度よりも、「あの時の感覚」に近いかを優先する
ケーススタディ:体験が生んだ、予想外の成果
とある例をご紹介しましょう。
ある飲料メーカーが、従来の市場調査とデータ分析に基づいた広告キャンペーンを展開していました。結果は「悪くない」程度。エンゲージメント率は業界平均レベルでした。
そこで方針を転換し、クリエイティブディレクターに1ヶ月間、ターゲットオーディエンスが多く暮らす地域での生活体験に専念してもらいました。条件は「データを見ず、人々と対話し、生活を共にすること」。
結果として生まれたキャンペーンコンセプトは、データからは決して導き出せないものでした。そして、エンゲージメント率は前回の3倍以上を記録しました。
何が違ったのか。実際にその場所で暮らし、人々と語り、同じ空気を吸った経験が、データでは捉えられない「生活者の本音」を浮かび上がらせたのです。
誤解してはいけないこと:AIは敵ではない
ここまで読んで、「AIを否定している」と思われた方もいるかもしれません。しかし、それは誤解です。
AIは極めて強力なツールです。問題は、AIを使う人間の側に、豊かな体験のデータベースがあるかどうかなのです。
理想的な協働モデルはこうです。
人間の役割
- 豊富な体験から生まれる直感
- 「何かが違う」を察知する感覚
- 複雑な文脈を理解する能力
- 感情の微妙なニュアンスを捉える繊細さ
AIの役割
- 大量のバリエーションを迅速に生成
- 技術的な完成度を担保
- データに基づく最適化
- 制作プロセスの効率化
このバランスが取れたとき、真に心を動かすクリエイティブが生まれます。
貴社のクリエイティブは、どこから生まれていますか?
ここで、企画担当者の皆様に問いかけたいと思います。
- 貴社のクリエイティブチームは、最後にいつターゲットオーディエンスと同じ環境に身を置きましたか?
- 制作プロセスにおいて、「本物に触れる」時間はどれくらいありますか?
- 予算配分において、「体験」への投資はありますか?
もし答えが「ほとんどない」なら、それは企業として大きな機会損失ではないでしょうか。効率を追求するあまり、最も重要な「心のリアリティ」への投資を怠っていると言えるでしょう。
AI時代のクリエイティブを深化させる「体験投資戦略」
AIが技術的な完成度を担保する時代において、クリエイティブの真価は人間が持つ「心のリアリティ」の深度によって決まります。効率性を追求するあまり失われがちな、この「生きた体験」を戦略的に確保するためのハイブリッド型アプローチを提案します。
1. 現状分析:ブランド資産の流出リスクの可視化
まず、自社のクリエイティブが本当に機能しているかを、従来の効率指標ではなく「忘却率」という観点から分析することが極めて重要です。技術的に完璧なAI生成コンテンツが、ターゲットオーディエンスに「翌日には忘れられる」という事実のデータ化は、コンテンツが「情報」として処理され、「体験」として記憶されていないことを占めてしています。
この忘却の決定的な原因は、「感情的な負荷と身体性の欠如」にあります。人間の脳は、感情や五感、予期せぬ出来事といった「負荷」を伴わない情報を、重要ではないと判断し記憶に定着しません。
AIが提供する最適化され尽くしたコンテンツは、すべてが完璧であるゆえに「負荷」がゼロに近く、結果として顧客の心に深く刺さらず、ブランド資産として積み上がりません。
この問題を解決する唯一の手段は、AIがアクセスできない「人間的な深度」を、クリエイター自身の体験を通じて供給するという、一見非効率に見えるプロセスしかないと考えます。
この分析を通じ、非効率に見える体験への投資が、AIによる「クリエイティブの均質化リスク」に対する唯一の保険であり、他社が真似できないブラックボックス化された競争優位性を維持するための必須のロジックであると考えます。
2. 体験支援戦略:コンフォートゾーンの意図的な破壊
クリエイティブの「深度」を高める体験の源泉を、業務内と業務外の両方から確保します。
- 業務外支援(自発性の尊重): 企業は、福利厚生の一環として「趣味・チャレンジ手当」を導入します。これは、クリエイターが業務時間外に新しい趣味や異文化交流など、コンフォートゾーンを破る活動に自発的に挑戦した場合に支給されます。これにより、クリエイターは後ろめたさを感じることなく、純粋な心の糧となるインスピレーションを得ることが可能になります。
- 業務内支援(戦略的集中): 重要なプロジェクトに限り、業務時間内にターゲットオーディエンスの生活空間での滞在や集中的な業務体験を設計します。この時間は「失敗しても良い」という心理的安全性を確保し、体験を個人の成長だけでなく、プロジェクトのインプットとして直結させます。
3. AIとの統合:直感と「違和感の言語化」
蓄積された体験をAIクリエイションに組み込むことが、差別化の鍵となります。
- インプットの深度化: 体験から得た「あの時の光のような」「祭りの高揚感のような」といった抽象的で感覚的なディレクションを、AIへの最初の指示として与えます。
- 人間のフィルター: AIが生成した技術的に完璧なコンテンツに対し、クリエイターは「あの時の感覚とのズレ(違和感)」を徹底的に言語化します。この「違和感」を捉える能力こそが、AIでは代替できないクリエイターの最も重要な役割なのです。
4. 効果測定と評価軸の変革:非効率のROI
体験投資を継続させるためには、従来の効率指標とは異なる評価軸を導入し、可視化する必要があります。
ROIのハイブリッド化: 短期的なCPA(獲得コスト)とは別に、「非効率な投資」が生み出した「感情的レゾナンス(共鳴)」を評価軸に組み込むことで、この体験戦略が企業にもたらす長期的で代替不可能な価値を経営層に明確に示します。
新しい測定指標: 単なるエンゲージメント率やブランド想起率に加え、コメントやレビューにおける「感情語の密度」(例:「感動した」「自分事だと思った」といった深い感情表現の出現率)を計測します。
これは、組織文化の変革提案です
この記事でお伝えしたかったのは、単なるクリエイティブ制作のテクニックではありません。
AIが普及すればするほど、人間の「深さ」が価値になる。
これは逆説的ですが、避けられない真実です。
技術や知識は民主化されます。誰もが同じAIツールにアクセスできる時代において、差別化要因は「そのツールを操る人間が、どれだけ深い体験を持っているか」になります。
そして、繰り返しになりますが、無駄で、生産性のないことを積極的に体験することにヒントはあると考えます。
貴社のクリエイティブに「心のリアリティ」を注入する準備はできていますか?
消費者の心を動かし、記憶に残り、行動を変える。
そんなクリエイティブを生み出すために必要なのは、最新のAIツールではありません。それを使いこなす、豊かな体験を持った人間なのです。
